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私の事務所も損保保険の代理店をやっていながら、自分のアパート、事務所が無保険同様のありさま、1年目から大変な経験をさせてもらった。
翌年から地元消防の第3分団に入り、地元に少しでも恩返ししようと頑張った。 この20代の私は、元気のいい先輩方に学生時代には社会勉強と称した、学べなかった善いこと、悪いことをたくさん教えてもらった。
実質活動したのは10年、員数合わせの名前だけの10年と都合20年お世話になった。 1969年、田舎に戻った私は、すぐ「田町繁栄会』の理事に推薦された。
それだけ若い者が少なかった。 子供の頃の『子供会』には、私の同級生も含め上下も随分いたのだが、『商店街』には戻ってきてはいなかった。
歴史をひもとけば『田町』は、その昔、群馬、高崎を代表する『お江戸みたけりや高崎田町紺ののれんがひらひらと』とうたわれた中仙道にそった絹織物の市場として繁栄した所でもある。 私も田町に籍をおきながら32年の間、町内会、商店街のお手伝いをし、不動産の仕事をさせてもらっている。
その間、2人の息子がお世話になった高松中学,高崎高校のPTAの手伝いを6年間やらせてもらった。 それは自分がもう1度、中、高校時代を体験できたといえる位、先生方や他の役員から多くのことを教えて貰えた。
特に管理職としての校長の言動を近くで見聞出来たことに感謝したい。 1988年「高崎東ロータリークラブ』入会、“ロータリー”というのは守備範囲がとても広く、年毎に守備位置(役割)が変わり面白い。
社会奉仕を基本として地元地域の、また世界中の情報を集め、さまざまなお手伝いをし、交流も出来るとても欲張りな団体である。 その他商工会議所異業種交流研究会等での活動を通じて、地元との交わりを続けている。

初めてのデッカイ借金。 小学生の子供の頃から、アパートの家賃の集金や水道、電気のメーター検針など引き受け手伝いをしていたので、自然と管理業務的なことも苦にせずこなし、徐々に賃貸の仕事を増やしていくことができた。
1976年までは、小さな自宅以外、資産も借金もなかったが、1977年に「高崎駅近くにある借地権付きの倉庫を買ってもらえないか。」という話が飛び込んできた。 今もそうだが、借地権の売買は高崎ではほとんど例がなかったし、兄やおじにも相談したが、皆「やめとけ。」の一言。
でも私の結論は悩んだ末「買い」、意を決して群馬銀行より借金をする。

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